スノーボード史を走り続ける
BURTON SNOWBOARDS

BURTONの歴史とブランド解説

スノーボードを世界に広めた
BURTON SNOWBOARDSを徹底解説。

今や誰もが知るスノーボードのビッグブランド、BURTON SNOWBOARDS。その始まりは、若き日のジェイク・バートン・カーペンターが自宅のガレージで作った木製のボードでした。誕生からおよそ40年、BURTONの発展はスノーボードの発展そのものです。そして、MOJANEという小さなお店の歴史でもあります。MOJANEにとって最も特別なスノーボードブランドBURTON SNOWBOARDSが歩んできた歴史や、商品について詳しくご紹介します。

BURTONとMOJANEのストーリー

MOJANEでは創業1995年から20年以上にわたり、正規ディーラーとしてBURTONを取り扱ってきました。また、前オーナーと共にMOJANEを立ち上げた中島 昇志氏を筆頭に、多くのMOJANE所属プロスノーボーダーがBURTONのサポートを受けてきたという背景があります。
BURTONのボードが世界中の表彰台を飾っているように、90年代後半のMOJANEライダー達もBURTONに乗って日本全国、世界を舞台に活躍しました。長年に渡ってBURTONを愛用するユーザーが多いMOJANEでは、ハイスペックモデルのCUSTOM-Xに毎年注目が集まります。CUSTOM-Xは、BURTONの中でも上級者への登竜門的ボードですが、先代から受け継がれたチューンナップやセッティングのノウハウを生かし、ユーザーの上達をサポートしています。
正規ディーラーとして、MOJANEが特に力を注いでいるBURTONのアフターケア(保証サポートやハードグッズ検品体制など)は、創業当時からの歴代MOJANEライダーやハードユーザーの意見を反映したものです。シーズン中のユーザーを支えるスピーディな対応は”BURTON プロダクト・サービス”との連携によって実現しています。

ユーザーがこれからのBURTONに期待すること

いつの時代もスノーボーダーが集まると、話題はやはりBURTONに。新技術や新素材、スノーボードの発展そのものを楽しみにしているユーザー達は、次にBURTONが何を見せてくれるのか、期待を寄せています。また、MOJANEにはユーザーからの切実な要望やレビューも多く集まります。
「ハイエンドなライン以外でも日本人向けのウェアサイズを展開してほしい。」「機能性は申し分ないけれど、インナーの柄がちょっと派手過ぎて…」「親子で揃えて着られるウェアや小物があったら嬉しい。」「画期的なハードブーツを開発してくれないかな。」など、その意見は多種多様。フリースタイルに特化した現在のBURTONに「アルペンやスノーボードクロスなど、スノーボードの各ジャンルでBURTONの力を見せて欲しい」という声がありました。スノーボード界のリーディングカンパニーとして君臨し続けて欲しいというスノーボーダーの願いが込められているように思います。

BURTONの歴史

スノーボードの誕生には諸説がありますが、アメリカの玩具メーカーが1965年に販売した”Snurfer スナーファー”(板に取り付けられたロープを持ってコントロールするもの)が原型とされているほか、SIMS創設者Tom Simsトム・シムスがスケートボードを改造した”スキーボード”が起源とも言われています。横に立ち乗るソリのような玩具Snurferに魅せられたひとりの若者は、やがてそれを改造し、まだ名のないスノーボードを目指して夢中で改良を重ねていました。彼がスノーボード業界最大のブランドBURTON SNOWBOARDSの創設者となるジェイク・バートン・カーペンターです。

初期スノーボード年表———
1970年 アメリカ各地でスノーボードの原型となる商品開発が加速。
1972年 最初のボードブランドWinter Stickが登場。
1976年 西海岸でSIMS誕生。
1977年 アメリカバーモント州BURTON SNOWBOARDS設立。
1980年代中期、ジェイク・バートンが、ゲレンデで滑走可能なスノーボードを開発、大量生産を開始し、徐々にその名を広めていく。

ジェイクはアメリカの東側、バーモント州を拠点にスノーボードの開発を進めます。
初期のスノーボードは、板の後部に小型のフィンをエッジとして付け、ノーズに取り付けたロープを持って操作する、というものでした。まだ回転するための設計は無く、サーフボードのようにデッキパットが付いていました。エッジがあり、ビンディングを固定する、という現在のスノーボードの形になるのはもう少し後のこと。
スノーボードの制作に明け暮れる日々を過ごしたジェイク。仕事を終えると、毎日夜明けまでガレージで作業をしたそうです。こうして完成したジェイク・バートンによるスノーボードは、一部のスナーファー愛用者に届けられ、その人気は徐々に広がりをみせていきます。
一方、ヒッピームーブメントの名残を残す70年代後期の西海岸では、サーフボードにインスパイアされたボード”スノーサーフィン”が、スケーターやサーファーの間で人気を集めていました。そして1976年にトム・シムスによる”SIMS”が設立され、その翌年にBURTON SNOWBOARDSが正式に誕生します。スノーボード時代の幕明けです。
自作のスノーボードに手ごたえを感じたジェイクは、人生を懸けた決断をします。それまでの仕事を辞め、スノーボードの開発を本格的に開始。完成した大量のスノーボードを車に積み込み、アメリカ全土を巡って自らの手で販売しました。しかし、売れ行きは思うように伸びません。そして、あるプロモーション方法を思いつきます。現在もBURTONの核の一つとなっている”コンペティション”です。

西のSIMS、東のBURTON。ジェイクにとって、コンペティションシーンでの最大のライバルはSIMSでした。フリースタイル性を追求するSIMSに対し、レースに重きを置くBURTON。全く異なるアプローチから展開するそれぞれのスタイルは、現在にも通じるブランドの特徴となっています。
当時のSIMSには、圧倒的な強さを誇るスノーボーダーCraig Kelly(クレイグ・ケリー)が在籍していました。しかし、クレイグのスノーボードへのストイックな意欲と、SIMSの陽気な西海岸気質の間には少しずつ溝が生じ、やがて破局へ。レーサー気質であるジェイクと意気投合したクレイグはライバルから一転、SIMSからBURTONへの電撃移籍を果たすのです。スノーボード史を大きく動かす一大事件でした。

類まれなセンスとカリスマ性を併せ持つクレイグを迎え入れた事が、BURTONの転機となります。ジェイクはクレイグに絶対的信頼を置き、クレイグもまたそれに応える様にBURTONに情熱を注ぎます。コンペティションで常勝するクレイグのボードに描かれた”BURTON”という文字は、ジェイクの狙い通り最高の広告となり、また、クレイグの要望によって、スノーボードのギア開発は急速に成長を遂げました。
日本でも、いち早くこのムーブメントをキャッチして影響を受けたスノーボーダー達がいました。それもそのはず、当時からBURTONは全米ではなく、日本を含めた世界をターゲットとしていたからです。仕掛け人はジェイク、功労者はクレイグ。二人の勢いはとどまることを知らず、スノーボードというアンダーグラウンドカルチャーを一気にメジャースポーツまで押し上げ、オリンピック競技へと導いたのです。

BURTON BACKYARD PROJECT
2003年1月20日。雪崩事故によりクレイグ・ケリーはこの世を去りました。BURTONは、亡きクレイグの意思と功績を讃え”CRAIG’S”という名の自社工場を設立し、バックヤードプロジェクトをはじめとするキーショップ向けの特別なラインナップの製造や実験的な開発を行っています。スノーボードに対する飽くなき情熱を今なお伝え続けているブランドです。

-Burton Snowboardsの企業理念-
私たちは、革新するのを決して止めません。
私たちは、作成するのを決して止めません。
そして、私たちは、スノーボーダーの言うことを聞くのを決して止めません。

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