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平山 雅一

全ては、スノーボーディングの為に。
平山 雅一の飽くなき探求心

THE CAST FILE NO.05 平山 雅一

スノーボードとの運命的な出会い

moro : そもそも、平山くんがここまでスノーボードにハマってしまったのは何故かを探っていきたいと思います。人生初のスノーボードを覚えていますか?

hirayama : 高校1年生の冬休み、友達に誘われたのがきっかけです。量販店のスノーボード3点セット19800円みたいなものを買ってもらい、テイネオリンピアの白樺ラインでデビューしました。もう、初めて滑ったその瞬間からハマっちゃって。コケてただけなんですけど、それだけで楽しかったんです。その日はゲレンデを降りるまでに30分もかかって、ギリギリターンができるくらいになったかな。ターンが出来るようになると一気に楽しさが増すんですよね。翌朝は起き上がることも出来ない位の全身筋肉痛(笑)。それでも、今すぐにでも滑りに行きたい!って感じでした。

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憧れのモデルを求めてプロショップへ

hirayama : スノーボードにハマって2年目、どうせやるなら専門店でちゃんとした道具を揃えたいと親に頼み込みました。狙っていたのはジムリッピーモデル。札幌市内のスノーボードショップは全部回ってやろうと意気込んでいました。今は無きYESそうご電器のレンタルコーナーで借りたビデオ(メルトダウンとスタンダードフィルム)で、命がけで崖のような所を滑って、かつバックフリップを決める姿に感化されたんです。こいつは滑れるし飛べるのか!ジムリッピーみたくなりたい!って(笑)。

moro : 伝説のジムリッピーモデル!レイブン柄のデザインでしたよね。当時は札幌中心部だけでもたくさんスノーボードショップがありましたけど、虱潰しで回ったんですか?

hirayama : そう、色んなお店で「リッピーが欲しいんです」って(笑)。どこの店員さんも「いいですよね、格好良いですよね」って言うんですよ。何件巡っても同じ反応だったので、やっぱり間違っていないんだなと思って狸小路を歩いてたんです。そしたらたまたま、1丁目で怪しげなスノーボードショップを見つけたんです。それがMOJANEでした。

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先代MOJANE中島店長の衝撃

hirayama : MOJANEにもリッピーのボードが飾ってあって、これが欲しいんだと店員さんに伝えると「へぇ、そうなんだ…」って、反応が悪いんですよ。当時の店長、中島さんです(笑)。「君、何年目?去年何回滑ったの?」という感じで尋問(?)を受けて「これは君にはまだ早い」と言われてしまったんです。代わりに勧められたのがBURTON CUSTOMでした。僕からすると何だこの人、って感じじゃないですか。結局、その日は検討しますという事で、また他のお店へ足を運んだんです。するとやっぱり他の店員さんは「リッピーいいですよね」って言う訳ですよ。

 まだインターネットなんてほぼ無かった時代でしたけど、帰って自分なりに調べると、リッピーはどうやら難しい板だっていう事が分かって来るんですよね。そして、CUSTOMはいいぞっていう話も出てくるんです。なるほど、あのショップだけがその話をしてくれたよな、という事でMOJANEに通うようになりました。中島店長にはその後、大きな影響を受けていくことになります。

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進学か就職か。
人生を変えたハイカスケード

moro : アメリカのマウントフットでのスノーボードサマーキャンプ、ハイカスケードに参加したという話は、これまでなかなか聞く機会がありませんでした。当時はSNSやスマホもない時代、どの様な経緯で?

hirayama : ハイカスケードの存在を知ったのは高校生の頃でしたが、参加出来たのは19歳と20歳の2回です。マックダウのDVDなんかを観ていると、バナーにハイカスケードって書いてあるじゃないですか。みんな裸で滑ってるんですよね。岩肌は見えているし、雪質も空の色もどう見ても冬じゃない。夏を持て余していたから、興味が湧きました。1年中滑っていたいという夢が叶う場所があると知ったんです。

moro : 話題のスノーボードキャンプでした。スノーボード雑誌にも、ハイカスケードの広告が出てましたよね。

hirayama : まずは無料資料請求です(笑)。コーチは日本のパイプ第一人者、渡辺伸一さん。渡辺さんが1080を回す事は知っていたので、これは是非行きたい!とワクワクしましたね。当時は皆と同じように大学進学の為に勉強をしていたのですが、頭の中はスノーボードで一杯で、どうしたらスノーボードが出来るかばかりを考えていました。そこで、いち早く社会人になってお金を稼ぐことを選んだんです。早く自分のお金で道具を買って滑りたかった。そういった経緯があって、就職して2年目の夏、有休とお給料を可能な限り貯めてようやく念願のハイカスケードキャンプ(9泊11日)に参加することが出来たんです。

moro : ぼくはてっきり学生時代の自由な時間を使って参加したのかと思っていました。スノーボードの為の大きな決断があったんですね。若い頃は夢を追ったり、好きなことを仕事にしたいと思いがちですが、高校生の時点で仕事は仕事、と割り切れていたことに関心します。

hirayama : プロを目指したい、という憧れもありましたよ。当時、新潟に新設されたスノーボード専門学校に進学したいという思いもありましたが、やはり親を説得できませんでした。なので、可能な限りスノーボードができる生活環境を作る事を最優先して、今の会社に就職することを決めたんです。就職試験の結果がダメならその時考えよう、といった感じでした。

moro : 実際にマウントフットで初めての海外を体験し、本場のスノーボードに触れたり、外国人と一緒に滑ることで得たものはありましたか?

hirayama : 海外といいつつ日本人が集まってのツアーだったので、車移動も日本人だけだし、パイプも貸し切りのジャパンオンリーでした。ただ、プロは入ってこれるんですよ。ダニエルフランクが入ってきたり、ピーターラインが入ってきたり。憧れのリッピーにも会えたことは良い思い出です。ダニエルフランクが晴れ待ちをしている場面では、こうやってビデオは作られるているんだという一辺を垣間見ました。あと、電車やスーパーマーケットなどの現地の生活感は刺激になりましたけど、海外のスノーボードに関して衝撃を受けるのは、後に行くことになるカナダやヨーロッパでのことになります。

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雪の無い冬、函館での5年間

moro : 高校を卒業して、まずは計画通りに就職することが出来た。念願のサマーキャンプにも参加した。そこから思い描いていたスノーボード生活が待っていた訳ですね?

hirayama : それが、そう上手くはいかなかったんです。入社後、1カ月間の研修を経て辞令をもらう日が来るんですけど、出身地近郊に配属されるはずが、何故か僕だけ函館での勤務を告げられてしまったんです。スノーボードの為に就職したっていうのに、北海道で最も雪の少ない土地へ。その時はショックで固まってしまい、言葉も出ませんでした。

moro : 18歳には厳しい現実ですね。雪山が遠くなり、それまでのペースでスノーボードも行けなくなったと思います。スノーボードへの関心やモチベーションはどの様に維持したのでしょうか。

hirayama : もう、とにかく滑りたい一心でした。仕事を直ぐに辞めることも出来ませんし、札幌に戻る道が閉ざされている訳ではないと試行錯誤していました。札幌に戻るには、倍率の高い試験に受かる必要があって、その狭き門を通るのに4年もかかってしまいました。函館では横津、七飯、二ヤマで滑ったり、函館から3時間で行けるルスツまで足を延ばしたり、札幌の実家に帰ってきては「札幌に住んでいたら帰宅時間を考えず滑れるのに」と悔やんでいました。そんな日々を過ごす中で23歳の時に札幌への転勤が決まったんです。その時の上司の方には本当に感謝しています。

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内向的だった性格をスノーボードが変えた

moro : その頃僕は大学生で、週末というとMOJANEに居座っていたんです。お店に来る個性的なスノーボーダーを見るのがとにかく楽しくて。平山くんの存在は中島店長から聞いていました。「歳も近いし、とにかく滑ってるから一緒に滑ってみたらいいよ」って。お店で見かけたら「こんにちは」くらいの挨拶をしていたんですけど、覚えていますか?

hirayama : すみません、実はモロさんの初対面のイメージは既にお店に立っている姿なんです(笑)。若い頃は本当に人見知りで、人と目も合わせられない程でした。他の人のパーソナルな情報よりも自分のギア選びに夢中だったし、MOJANEの人たちとの関わりもありませんでしたね。MOJANEツアーも怖くて参加できませんでしたよ。やっと皆と滑ろうっていう気持ちになったのは、モロさんがMOJANEのスタッフになって誘ってくれるようになってから。ツアーや試乗会でMOJANEのお客さんたちと知り合うことが出来て、徐々に輪が広がっていきました。

moro : 印象に残っているのは、平山くんはカービングでも思いっきりダッグスタンスでいくんですよね。僕はカービングの時はスタンスを変えていたので「変えてみたらいいですよ」って平山くんにアドバイスしたことがあるんですよ。そしたら「いや、僕はこれが気持ちいいんですっ」って颯爽とダックのまま行ったんです。でもそのスタンスでエッジが入っていたのを覚えていますよ。これで行けるのか!って思いました。

hirayama : 僕はJSBAのインストラクター資格を取得する過程でスノーボードの基礎を学んだので、元々は綺麗にカービングする為にはスタンスはこうで、足を前に降って膝をこう入れて、手の位置はこう、っていうのをちゃんと気にしていたんですよ。ただ、海外でそんなことしている人なんていなくて、みんな自由に楽しく滑っていたんです。そういった刺激がどんどん自分を変えていったんじゃないかと思います。スノーボードの為に海外に行っていたんだけど、行く度に、考え方や視野のようなものが育ったというか。スノーボードに出会った事が内面でもターニングポイントになったと思っています。

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視点を変えればそれはマッシュ

moro : 僕が平山くんと一緒に滑り始めたのは2008年頃。ノートラックのパウダーではなく、みんなが遊び終わってボコボコに荒れたパウダーを選ぶ平山君に驚きました。僕はマーク・ランドビックに感銘を受けていたので、理想が目の前に現れた!という感じで嬉しかったんです。荒れたパウダーや午後からのダウンヒル。そういったオリジナルの遊び方はどの様に生まれてくるのでしょうか。

hirayama : 遊び方として意識はしてませんけど、身の回りの様々な要素が絡んでそうなっていくんだと思います。例えばMOJANEにはいつも海外のDVDがたくさんあって、そういった映像作品に影響を受けてきました。ランドビックは特にカッコ良かったですね。2007-8年のエステティカを観て「これだ!」と思いました。正にあの時ですよね、マッシュで飛ぶっていうのは。それまで崖やジブはありましたけど、マッシュにフォーカスしたシーンは鮮烈でした。

 それで僕はゲレンデ内でマッシュを探していて、荒れたパウダーの窪で飛べそうだと思ったんです。僕にはキッカーに見えていたんですよ(笑)。やり始めたらそれがまた面白い。コブは溝を滑っていくだけが正解じゃないって思ったし、今まで培ってきたトリックも出来る。北海道は午後もパウダーが贅沢な位残ってるんですよ。ランドビックを知って、これは俺がやりたいスタイルだ、って思いました。エステティカのランドビックと、ネバーランドのニコラスは今もシーズン初めに必ず観ています。オープンバーンはランドビックみたいに滑りたいし、込み入ったところはニコラスみたく滑りたい。彼はレギュラーもスイッチも関係ない、そこが一つの教科書であり、ターゲットです。

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中島店長の「カナダに行けば分かるよ」

hirayama : 身近なところでは、中島店長の滑りもそうでした。カービングとかワンメイクとか、ジャンル分けがハッキリしていた当時、グラトリなのかジャンプなのか、ターンの延長なのか全く区別がつかないような、異質な滑りだったんです。なおかつ、それをゲレンデ内でやっているんですよね。その独創的な滑りに憧れて、どこからその発想が生まれたんですか、って中島さんに聞いたんです。すると、「それはね平山くん、カナダに行けば分かるよ。ウィスラーとバンフってところがあるから。」って。マジすかってなったっすよね(笑)。早速チケット取って1人で行きました。

moro : 僕らにとって中島さんの影響力は半端じゃなかったですよね。「モロ、海外興味ないの?」の一言で僕、留学しましたよ(笑)。ひと言で背中を押す力があった。スマホもSNSも無い時代、行動することでしか知れないものが沢山ありました。実際にカナダに行って、その答えは分かりましたか?

hirayama : 僕、滑るスピードには自信があったんですけど、カナダでは50度の岩だらけという斜面で、現地スノーボーダーにガンガン抜かされていくんです。1月中旬のまだ雪も付ききっていない、岩だらけのライン1本。お爺さんも子供も皆そこ行くんですよ(笑)。遊び方もスピードも全く違う、中島さんの言った意味がやっと分かった気がしました。ジャンルではなく、山全体を遊ぶっていう感覚が見えたんです。結局、DVDで観る映像もそういった滑りなんですよね。そのごく短いワンシーンの前後には、きっとこの滑りがあるんだ、って分かったんです。俺もこういう滑りがしたい、北海道なら出来るんじゃないかって。新品だった板が帰る頃にはベコベコになっていましたけど、良い経験でした。

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スノーボードはメンタルスポーツ

moro : 朝から晩までずっと滑り続ける平山君の強靭な体力は、若手も音を上げてしまう程。みんな「最後までついて行けませんでした」って報告に来ます(笑)。平山くんの疲れた姿を見たことが無いのですが、そのスタミナやパワーはどこから来るのでしょうか。

hirayama : 要素はいくつかありますよ。まず一番にあるのは、とにかく滑りたいっていう気持ちです。それでも体が重い日や、疲れを感じる日もありますよ。ただ、心ひとつだと思うんです。極度の寝不足や疲労はもちろんダメですけど、スノーボードを気だるくネガティブにやらなくてもいいじゃないですか。そのメンタルによってパフォーマンス落とすのはもったいないし、皆で滑るなら尚更です。時間もお金もかかるこのスポーツが出来ることは貴重な事だし、幸せなことだと思うんです。そういった面で、人よりポジティブに捉えようと意識しているかもしれません。それが体力に繋がっている。良いパフォーマンスの背景には必ず気持ちがあると思っています。メンタルを作りすぎて飛べないキッカーを飛んだらそりゃ怪我しますけどね(笑)

moro : 良い日、良いセッション、良いライディング。スノーボードの刺激や経験にメンタルがくっついて原動力になっている、そう思うと納得です。でも、人にプレッシャーをかけたり煽ったりしない平山くんがその捉え方・追い込み方をしているとは意外でした。

hirayama : 年齢を重ねるにつれて、一緒に滑れる人もだんだん少なくなってくるじゃないですか。同世代なら煽り合うような遊び方も楽しめるけど、若い世代にはジェネレーションギャップでストレスかけちゃうんですよね。最近は若い子と滑る機会も多いので、「あ、これはやっちゃいけないんだな」っていうのもだんだん分かってきましたよ(笑)。やっぱり人と滑るのは楽しいし、もっと人と滑りたい。その為には相手に合わせて自分を変えて行く事も大切なんですよね。

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夫、父、スノーボーダーとして

moro : せっかくなので家庭の話も聞かせてください。たまに平山くんが娘さん(3歳)と一緒にお店に来ると「あぁ、ちゃんとパパやってるんだ」って思います(笑)。春には第二子の出産を控えているとのことですが、奥さんは平山くんのスノーボードをどう捉えているのでしょうか。家庭とのバランスを保つ秘訣があれば教えてください。

hirayama : 妻は当然、夫婦・家族と時間を過ごして欲しいという気持ちでいると思います。でも、僕は結婚前からずっとこんなだし、僕がスノーボードを中心に生きてきた事も知っているので、家族との時間も作ってくれるならという条件で理解してくれています。何度か一緒にゲレンデに行った事もありましたけど、滑り始めちゃうとただ集合した、っていう感じになってしまってダメでしたね(笑)。今は、僕の中で「自分が滑った分と同じ分の時間を家族に使う」って決めているんです。週2回の休日のうち、1日は僕の自由に過ごさせてもらって、もう1日は家族との時間、っていう感じです。

moro : 独身の頃のようにはいきませんし、家庭・仕事・スノーボードの狭間で葛藤している人も多いと思います。そこはやはり家族の理解と支えが重要になりますよね。MOJANEとしても、ユーザーの皆さんの協力なしに今の活動はでませんので、平山くんの奥さんには頭が上がらない思いです。この場を借りてお礼を言わせてください。ありがとうございます!

hirayama : スノーボードをさせてくれるという理解もありますが、僕の事を分かってくれて、どうしたら家庭が上手くいくかを考えてくれている事に感謝しています。僕、滑りに行けないとストレスが溜まるんでしょうね、どんどん元気が無くなるし、人として落ちていくんですよ(笑)。そうすると家庭の全体的なところが悪循環になりますから、皆良いリズムで居られるようにって思います。夫、父、スノーボーダー、その全てで居させてくれる妻と娘には本当に感謝しています。

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仲間が滑りの幅を広げる

moro : かなり前の事になりますが、同世代4人(平山君,緒畑君,タクちゃん,諸橋)でルスツに滑りに行った事、覚えていますか?僕あの日、思いっきり行くぜ!って意気込んで臨んだのにボロ負けして、「もっと滑れるようになりてぇ」って相当落ち込んだんです。みんな1本目からガンガン攻めてて、普段とスピード感も全然違うし、危うくてヒヤッヒヤですよ。前に出たかったけど、まともについて行ったら怪我すると思って何もできなくて。それでも、凄く刺激的な一日だったんです。

hirayama : そうだったんですか⁉ 僕にとっては歴代ベストっていう位めちゃくちゃ良いセッションでしたよ。午後4時までビッチリね(笑)。あの頃はまだ皆で滑ってもどこか遠慮があったりして、慣れてなかったんです。でもその日は同年代の打ち解けてきたメンバーで、雪もバッチリ当たって、今日は良い日だぞっていう感覚がありました。僕は当時横の動きが使えなかったから、モロさんの横に動いてキレイにスプレーを上げる動きは刺激的だったし、三者三様の滑りを見て、やっぱスノーボードってすげぇって思いましたよね。スノーボードをたくさん見てきたつもりだったけど、まだまだあるぞ、もっと広がるぞって。帰りの車内では、次の世界に向かうみたいな高揚感でいっぱいでした。

moro : 当時はスマホも無い時代で、気軽に写真や動画を撮る事も無かったですしね。スノーボードをしていてこんな気持ちになるんだなっていう不思議な感覚でした。その場でしか味わえない化学反応が起こっていたのかも知れません。自分達で出来る事がまだまだたくさんあるんだなって気付かされました。

hirayama : あの日をきっかけに、もっと幅のあるスノーボーダーになりたいと思ったし、セッションっていう言葉の意味がやっと理解できました。勝った負けたじゃなく刺激し合えたっていうのが大事なんですよね。今もあんなセッションがしたいって思ってます。とにかく熱くて楽しい、あの気持ちは忘れられません。

HIRAYAMA CLASSIC

HIRAYAMA CLASSICの誕生

moro : 皆がある瞬間にバチっとハマる感動は、実際に体験して初めて分かる事。僕は、環境に左右されないスノーボードはMOJANEだから知れたと思っているんです。ノートラックやパウダーみたいな環境ばかりを追い求めるんじゃなく、吹雪いてても、荒れてても、パウダーじゃなくても、刺激し合える仲間が大事だなって思います。MOJANEに来店する若い子から「一緒に滑る仲間が欲しいんですけど、どうやって仲間を作るんですか」ってよく聞かれるんです。SNSやアプリで仲間を探すのも良いけど、「とにかく滑れ」としか言えないですよね。自分の姿を見せてアピールして仲間を作っていく、逆に僕らはそれしか知らないですからね(笑)。

hirayama : そうですね。実はあのルスツでの一日が、今僕が一緒に滑りたい人が集まっている”HIRAYAMA CLASSIC”の起源になったと思っているんです。CLASSICのメンバーは、滑っているときに背中から生き様が出ているような人、出てきそうな人、っていうのを基準にしていて。上手い奴なんていっぱいいるし、カッコいい奴もいっぱいいるんだけど、自分の熱い滑りを持っているスノーボーダーと一緒に滑っていたいし、仲間になりたいし、出会いたい!と思っています。

平山 雅一

BCに辿り着けない位ゲレンデが面白い

moro : バックカントリーやサイドカントリーへのアプローチが盛んになっている昨今、平山くんほどのスキルと経験があれば、興味を持つのはごく自然だと思うのですが、いつも「まだ俺には早い」と言ってますよね。その真意は?

hirayama : 理由は沢山ありますけど、純粋に本数滑りたいんですよね。自分の足で登ると滑れる本数が限られるじゃないですか。1本にかける気持ち良さっていうのもあると思うんですけど、今の自分は身に付けたい技や試したい動きがまだまだあるんです。特に北海道はゲレンデも多彩で豊富だから、ゲレンデ内がめちゃくちゃ楽しいっていう段階なんですよ。まだ行った事のないゲレンデも沢山あります。だから、バックカントリーに全然辿り着いていない状態なんだと思うんです。

 そりゃ、海外のようなナチュラルなマッシュで720を試したい!っていう気持ちはもちろんありますよ。だけど、今僕が死んだら家族が大変なことになる。人間て、極致に立った時に欲望を選んでしまうものだと思うんです。いくら経験やスキルがあっても、絶対に間違いは起きるし、自分がいくら気を付けていても巻き込まれることもありますからね、最後は運っていうところに来てしまう。あのクレイグ・ケリーが死んでしまうんですよ、まだまだその身じゃないっていう感じです。現状で決め過ぎず、その時その時のスノーボーディングを楽しんでいたいと思っています。

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